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追悼・ベティちゃん
2018年8月12日日曜日に書いた原稿です。
ベティちゃんに対する心からの感謝の気持ちを込めて記載しました。
ご一読いただければ幸いです。
あと1週間で16歳でした。
来週18日で16歳のお誕生日を迎える予定だったベディちゃん。
今朝、亡くなりました。
他のわんちゃんたちに囲まれて、静かで穏やかな、最後でした。
12日早朝、3時過ぎ。
何度か苦しそうにしている様子に、隣で寝ていた私は目を覚ましました。
前日も同様だったので、お水を飲ませたり、抱っこしたり。
抱っこすると呼吸が楽になるのか、次第に落ち着き、うとうとし始めました。
しばらく様子を見て、私のそばにおいたベッドに寝かせ、寝息を確認し私も目をつぶる。
30分くらいすると、またゼーゼーいう声と体を起こそうとする気配に気づき、起きて対処する。
そんなことを、5時までの間に数回繰り返しました。
飼い犬のダグと宿泊中の他のわんちゃんたちも、同じ部屋で眠っていました。
私が起きると、目を開ける子はいましたが、皆、静かに様子を見ているだけ。
騒ぐ子は誰もいず、静かに見守ってくれていました。
6時になり、私は朝の準備のため、ベッドから台所へ向かいました。
ベディちゃんの様子を見て、お腹が呼吸と合わせて上下に動くのを確認し、ごはんや散歩の準備に入ったのです。
台所からは、寝ている部屋の中が見えます。
ベティちゃんの方に何度も目をやり、様子を確認していました。
そして、7時前でした。
見ると、上下の動きが止まっていました。
すぐに近寄り、抱っこしました。
「ベティ?ベディ?」
声をかけましたが、目を開けることはありませんでした。
(あ、逝ってしまった・・・)
体は、柔らかく、あたたかく。
いつものように、ただ眠っているだけ、そう見えました。
ダグも他のわんちゃん達も、不思議そうな顔で、声をあげて泣いている私をじっと見ていました。
1年間、お預かりしていました
専門学校で勉強するため、実家を離れ東京で一人暮らしをすることになった飼い主のTさん。
新生活に慣れるまでの数ヶ月、ということでご依頼をいただいたのが、昨年の8月でした。
新しい土地での生活、Tさんとしても、悩みに悩んだ挙句、のご判断でした。
その後はLINEでご様子を写真や動画で報告したり、京都に帰省なさった時に面会に来ていただいたり。
いろいろな事情が重なり、結果として、1年間のお預かりになりました。
11月からその後、亡くなるまでの約8ヶ月間、月に1-2回の病院通いも始まりました。
ちょうど今後について、どうしましょうか?とご相談していた矢先のことでした。
写真:ちょうど預かり始めた9月初旬に撮影した写真がこちらです。
お薬と検査の日々でした
昨年11月に鼻炎の症状でベティちゃんをかかりつけの病院に連れて行った際、お医者様から、クッシング症候群の治療について説明をされました。副腎から出るホルモンが過剰になるという病気なのだそうです。
ベティちゃん以前、その疑いがあり、投薬治療で数値が良化、ただ途中で治療が中断したため、検査を勧められました。
写真:病院の待合室で。いつもいい子にしてました。
そして、検査の結果、数値がまた悪くなっている、と言われました。
「放置したままでは、いつ何が起きてもおかしくない」と言われていました。
Tさんにすぐに相談し、私がTさんの代理ということを説明し、通院を開始しました。
12月に入り、超音波検査で見たところ、副腎がかなり肥大しているらしいことがわかりました。
ただ、どの程度悪いのか、他にどういう影響があるのかは、開腹して細胞を見なければわからないとのこと。根本治療としては外科的な手術しかない、とのお話でした。
ただ、15歳という年齢では麻酔のリスクもあり、投薬治療と都度の検査を選択しました。
春に行った血液検査では、薬の効果かホルモンの数字は改善したものの、一方で、肝臓の数値が徐々に悪化していることもわかりました。そこで強肝剤が処方されました。
さらに、先月の検査では、甲状腺異常の疑いもあるとのご指摘でした。
検査するたびに不安な要素が告げられ、それをLINEでTさんにお知らせするという流れでした。
それでも、目の前のニコニコしているベティちゃんをみると、深刻な数値が何かの間違いのように感じられました。毎回ごはんは完食するし、うんちも健康的で頻度も安定。
下痢すらほとんどなく、たまに鼻炎になるくらい。
ところが、数ヶ月前に一度、けいれんがありました。
病院に行きましたが、原因は分からず。
その後は落ち着いていました。
2回目に、軽い発作のような症状があったのが、1週間ほど前。
その都度、病院に連れて行き、状況を撮影した動画などを見せました。
すでに調子が戻っており、処置をするというよりは、原因がわからないため、血液検査をするくらい。脳への影響も想像されるため、高度医療の施設でのMRI検査も勧められましたが、何かわかったとしても、対処は手術になるとのこと。
なんだか出口のない部屋に入って手探りで窓を探しているような状態でした。
しばらく投薬を続けながら、様子を見るしかなさそう。
変わらずごはんの時間になるとスタスタ自分のケージに戻り、元気にごはんを催促するべディちゃんを見ていると、「このまま、だましだまし、暮らしていけるのでは?」とも思え、早く秋の涼しい時期が来ればいいのになと考えていました。
最後の2日間
いつも完食する朝ごはん。
半分残したのが、11日の朝でした。
いつもとは違う。
そう考えて、ベディちゃんを四六時中、見守れるよう、トリミング室の中にも介護用マットをひいて体制を整えました。午前は、落ち着いていたのですが、午後になると、再び、何度か水を吐く、呼吸がきつそうでした。抱っこしてしばらくすると落ち着き眠る。
(長くはないかもしれない)
そこで、夜、わんちゃんたちのお世話が終わった後でTさんにはLINEしました。
緊急時の治療をどこまですべきか判断してほしいと。
すると返信があり、週明けには、今後の相談含めて来店される予定とのこと。
(なんとかそれまで頑張ってくれるといいのに)
願わずには入られませんでした。
幸い、夕ごはんは完食。
いつも手作りご飯とドライをあげていますが、この日は大好きなササミの蒸したもの。
多めにドライフードの上に乗せ、5種類のお薬と一緒にあげました。
すると、いつもの調子でペロリと完食。
食べる力があるならば大丈夫かな。
少しホッとしました。
飼い主さんとベティちゃん
12日の朝、亡くなったとわかってすぐにLINEで一報を入れました。
電話がかかってきて、実は、東京にいるはずのTさん。
まさに今、京都にいらっしゃっていることがわかりました。
お盆で帰省したばかりだったそうです。
おまけに、しばらくパリに在住なさっていたというお姉様も久しぶりに京都に帰ったところだったとか。
私には、ベディちゃんが、まるで二人が京都に戻ることを待って、逝った。
あるいは呼び寄せた?そう思えました。
8時30分、すっぴんのまま、姉妹のお二人が、ベディちゃんをお迎えにご来店になりました。
まだ柔らかいベディちゃんの肌を撫でながらポロポロ涙をこぼしていらっしゃいました。
ベディちゃんは、Tさんが12歳の時に飼い始めた2頭目のわんちゃんだったそうです。
姉妹が一番多感な時期をベディちゃんは共有していたことになります。
最後、一目だけでもお二人に合わせてあげたかった。
ベディちゃんの体を抱っこしてもらいたかった。
できることは全てやったつもりでしたが、そのことだけ悔いが残りました。
申し訳なく、自分の力不足を感じました。
ベティちゃんの優しい気遣い
Tさんが「実は・・・」と切り出しました。
伺うと、10月くらいにベディちゃんを東京に迎えるため、広い部屋に引っ越そうとして物件探しを開始したところだったそうです。
もともと、うちへのお預かりは、今年の2月あるいは6月までというお話でした。
ご自身でなんとかしなければと策を練っておられたようです。
ドッグホテルに長期預けをすると、相応の費用がかかります。
勉強しながら、バイトも掛け持ちして、月々の費用を捻出してきた、Tさん。
そこに数万円の治療費も苦わかり、毎月のご負担は簡単ではなかったろうと想像します。
それでもできるだけのことをと頑張ってこられました。
ベディちゃんは、わかっていたのでは?
みんなの物理的な負担や、精神的な負担。
そう感じずにはいられませんでした。
絶妙なタイミング。
見事な最期。
自ら問題解決のために、逝ってしまった。
そう考えたら、なんだか泣けて泣けて仕方ありませんでした。
友達わんこ28人!お宿で1番の人気者でした
わんこ友達にファンも多く、いつも誰かがベティちゃんの横で眠っていました。
他の犬が苦手というわんちゃんもなぜかベティちゃんには近寄る。
不思議な空気がありました。
数えたら、うちの店だけでも仲良くなったわんこ友達は、なんと28人。
相性が悪いということがなかったのです。
飼い主さんたちにお届けしているご滞在時の動画の多くに、ベティちゃんは登場します。
「友達ができなくて」という飼い主さん。
愛犬とベディちゃんが戯れる動画を送ると、とても喜んでくださいました。
だから、ほかの飼い主様にもファンが多く。
写真:常連のチェスくんとは、いつもひっつき持っつきでした。
店が休みの日は、ダグと一緒に、鴨川の河川敷や京都御苑、南禅寺などにもお出かけしました。
写真:ダグと西賀茂の河川敷で遠出のお散歩をした時の写真です。
そこで出会ったワンちゃんたちともすぐに仲良くなりました。
一般道路はカートに乗せて移動し、公園や広場についたらおろして歩いてもらってました。
カートに乗っていると、道で声をかけられることも多く、「いい子だね、頑張ってね」と言われて目を細めることも少なくありませんでした。
愛されオーラ満載のワンちゃんでした。
甘えん坊さんでした
夕ごはんのあとは、ソファで私の膝に頭とお腹を乗せてウトウトするのが習慣でした。
ケージから出ると一目散に、ソファまで歩いて来ます。
逆に、ほかのわんちゃんたちと私が遊んでいると、ケージの中で、少しむくれています。
それから、両足を交互に動かして、ふーん、ふーんと可愛く泣きます。
(もーしょうがないなー)とついつい思ってしまう。
ケージを開けると、すたすたと、すごいスピードで私の方に突進してきます。
お散歩で公園に行ったときもそうでした。
離れたところから、「ベディちゃん!」と呼ぶと、スタコラ歩いてきてくれます。
その様子がなんとも可愛らしくて。
公園のお掃除の方々からもよく声をかけていただきました。
食いしん坊さんでした
朝起きてすぐ「朝ごはん」に突入。
ドライと私の手作りフードを混ぜたものを食べてもらっていました。
いつも気持ちいいくらい完食してくれました。
一緒に、5種類のお薬もきちんと食べてくれます。
そういう意味では、本当に優等生でした。
ごはん美味しかった?
よく食べてくれたね。
11日の夜22時。
そう語りかけながら、食後にソファに座らせ、背中をさすっていたときの映像(※)がこちらです。
それまで、しんどそうにしていたベディちゃんが、ゆっくり笑ってくれたのです。
まるで、何か話しかけてくれているような表情でした。
そして穏やかな表情で、うとうとと寝始めました。
飼い犬のダグも、ほかのお泊まりのわんちゃんたちも、不思議と静かでした。
スヤスヤ寝始めたので、私もベッドに入り、再び起き出したのが、3時でした。
後日談・ベディちゃんが残してくれたもの
翌日、TさんからLINEがきました。
ベティちゃんを連れて自宅に戻った後、大好きだったおやつなどをたくさん買ってきてお供えし、ご家族で一緒に一晩を過ごしたとのこと。
翌日の13日に、初代のわんちゃんが眠っているという滋賀のお寺に連れて行き、葬儀を済ませたそうです。お天気も良く、きちんと送り出せた、そう書いてありました。
(京都に帰っておられる時でよかった)
心からそう思いました。
私についても、同様でした。
夏の繁忙期で、店はサロンのご利用や宿泊のご予約で、予定がパンパンになっていました。
たまたま11日夜から12日午前までは、少しゆったりできたのです。
このタイミングでなければ、落ち着いた対処はできなかったように思います。
うんちもおしっこも夜中に済ませて、綺麗なパンツに履き替えて。
清潔な状態のまま、ぺディちゃんは逝きました。
完璧な旅立ちでした。
ベティちゃんとの出会いによって、私はたくさんの気づきと経験を得ました。
人との出会いが運命であるのと同様、ワンちゃんとの出会いも、神様のくれたご縁なのだなと感じます。
ベディちゃんの体の重さや感触は消えません。
しばらく苦しい気持ちが続きそうですが、他のわんちゃんのお世話をしっかり行うことで、ベティちゃんへのご恩返しになればと考えています。
ベディ、本当に、本当に、ありがとう。
どうか、安らかに眠ってください。
株式会社 薫風舎
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齋藤 裕子